先日ランチで話題にのぼった「女々しい」が気になりすぎて深掘りしてみた。
序章
ゆずるさん(仮名)は頭の回転が早くて、決断も行動も速い。
いわゆる「男らしい」という言葉が、いちばん似合うタイプに見える。
でも同時に、心優しい面もある。
いわゆる女性っぽさ。
その両方が同居している感じがする。
先日、そんなゆずるさんと、スパイスカレーを食べに行った。
彼の知り合いが始めたお店で、私はオーナーさんとは初対面だった。
食べながら、オーナーさんとゆずるさんと何気なく話す中で
「ゆずるさんって、男っぽいけど、女っぽいところもあるよね」。
すると、ゆずるさん(仮名)は即答した。
「女々しいって、普通に男に使う言葉だからね」
その瞬間、私はハッとした。
たしかに。
女々しいって、女性のことを言っているようで、実際に使う場面はだいたい男性に対してだ。
しかも、かなり雑に、かなり強めに。
ほんとだ。
私は、その場で初めて気がついた。
そこから、頭の中で妙なスイッチが入った。
女々しいって、
誰に対して
どういう意味で使うんだっけ?
「女々しい」の意味
女々しい、って言葉。
褒め言葉で使うことは恐らく、無い。
そして、女性を指しているように見えるのに、実際に投げられる先は、だいたい男性だ。
じゃあこれは、女性の悪口なのか。
それとも、男性の悪口なのか。
たぶん、どちらでもある。
ややこしいことに。
男性に向けて「女々しい」と言うとき、そこには「しっかりしろ」「迷うな」「弱音を吐くな」という圧が入っている。
つまり、男を矯正する言葉として使われる。
でも、その矯正は「女みたい=ダメ」という前提があってこそ成立しているように見えない?
男にも失礼だし、女にも失礼だ。
なのに、日常ではあまりに自然に使われている。
この違和感が、しばらく舌の上に残った。
スパイスみたいに、いつまでも消えない。
その違和感を、そのまま放っておけなくて、私は少し視点をずらしてみたくなった。
孔雀はオスが羽を広げる
そこでまず思い出したのが孔雀だった。
孔雀って、オスが羽を広げて美を競う。
いまでこそ男性が着飾ったりメイクをしたりするのは当たり前になってきているが、それはごく近年の話。古い考えの人の中にはまだそれを受け入れられない人も多い。やはり美を競うのは女性っぽいというイメージが根強くあるのだ。そういう人間の感覚だと、「飾る=女性っぽい」になる。
でも孔雀は堂々と逆をやっている。
オスが飾り、オスが見せ、オスが美を競う。
ここで言いたいのは、男が女で女が男、という話ではない。
飾るという行為は、性別の本性じゃなくて、生き延びるための戦略のひとつだということだ。
つまり、自然界には「男だからこう」「女だからこう」というルールはない。
種の存続のためにそれぞれの役割があるだけだ。
女郎蜘蛛は強か
もうひとつ、私の頭に浮かんだのが女郎蜘蛛だった。
「ジョロウグモ(女郎蜘蛛)」は、種としてはオスもメスもいますが、私たちが思い浮かべる“でっかくて派手で、網の真ん中にいる女郎蜘蛛”はほぼ成体のメス。
オスはかなり小さくて目立ちにくく、同じ網の端っこにちょこんといることが多いようです。
女郎蜘蛛の男女は、人間のそれとは真逆の関係性と言える。
明らかにオスよりもメスの方が強い。
ただし、いわゆる暴君タイプの強さではない。
戦略に長け、生き延びるために強かに生きている。
巣を張り巡らし、餌がかかるのをじっと待つ。
勝てる形を作ってから動く。
無駄に消耗しない。
仕組みで勝つ。
つまり女郎蜘蛛は強かで、現実的で、したたかに生き延びる力を持っている。
待つことも、読むことも、張ることも、外さないことも、ぜんぶ強さだと。
逆転しているのは、雌雄じゃなく「強さ」の意味
孔雀のオスは飾る。
女郎蜘蛛は待って勝つ。
飾る、待つ、読む、整える、支える、感じ取る。
それは本来、弱さじゃない。
生き延びるための能力で、強さの一部でもある。
なのに人間社会では、こういう性質が「女っぽい」とされ、時に軽く扱われることがある。
そして、その延長線上に「女々しい」という言葉がある。
なんで???
女々しいは誰の悪口なのか
女々しいって、女のことを言っているように見える。
でも、実際には男に向けて飛んでくる場面が多い。
迷う男、泣く男、弱音を吐く男、決断が遅い男。
そういう男に対して、減点の言葉として使われる。
つまり、「女々しい」は男を縛る言葉として機能している。
でも同時に、その言葉は「女」を引き合いに出して成立している。
女みたい=劣る、という匂いが残ったままだ。
ここが、私のいちばん気持ち悪いところだ。
男を叩くために、女を下に置く。
女性の悪口みたいに見えて、男性への悪口として使われる。
そして、どちらにも失礼な形で残っている。
だから、私はあの場で固まったのだと思う。
ゆずるさんの一言で、はじめてそれが言語化された。
共存しているのが普通
でも、ゆずるさんを見ていると、もうひとつはっきりする。
男っぽさと女っぽさ。
それは対立じゃなくて、普通に同居する。
男らしいも女らしいも、ただの個性のタグにすぎない。
大なり小なり、混ざっているのが人間だ。
私は、多様性という言葉を、立派なスローガンにしたいわけじゃない。
ただ、性別で人を決めつけるより、
その人の性質を「そんな一面もあるんだ」と面白がれる側にいたいと思う。
そして、いまはまだ多様性を受け入れにくい人にも、性別ではなく性質として人となりを見たら、世界は少しおもしろくなるよ、と伝えたい。
スパイスカレーの席で、ゆずるさんの一言が私のスイッチを押した。
女々しいって、普通に男に使う言葉だからね。
この「ほんとだ!」から始まった違和感は、
たぶん私が、男女のラベリングではなく、それぞれの人となりそのものを見たいと思っている証拠なんだろう。
今日の記事はここまで。
また、気になったこと、深掘りしたことなど、不定期で掲載していきますので楽しみにしていてくださいね💓


